今、どん底を経験してて、よかった。と思える自信と理由。
今くっそ苦しいです。
アホみたいに苦しいです。
そりゃ、借金して、クレジットカード会社から催促の電話が掛かってる状態で
スタバでこんなブログ書いてます。
親に相談してもお金借りれるかわからない状態で、借りれなかったら、「自己破産しようか」それとも、「首を吊ろうか」みたいな思考になりかねないと思うのですが。
そこは普通の人間じゃないのかな自分。
そんなことは全くない。
俺が34歳になって、こんなどん底の地の底の底のカイジみたいな生活してたんだから。
でも、それはしっかりいろんな手順を踏んでたからです。
それを直近3ヶ月を振り返りつつ、今回はその理由を僕なりになぜそうなってるのかを説明します。
多分、人間の成功って再現性があるんだけど、あんまり当たり前過ぎて、スポットライトが当たってないと思うんですよね。
朝活はじめたのがよかった
7月の下旬からなんとなく苦し紛れにはじめた朝活なんですけど、これが思いの外、自分のメンタルというか人生に好影響を及ぼしているかなと。
すぎはぴぶろぐの方でも書いたのですが、「衝動性のコントロール」の改善と「自己肯定感が上がった」からですね。
いろいろ、書いてることも、一つ一つ、努力やマインド、解釈を変えて、積み重ねていっていることで、点と点が繋がり合って、強固なメンタルや自信ができました。
だから、いま、目の前の問題に対して、冷静に分析し、自信を持って対処と継続と粘り強い取り組みをすれば100%状況が良くなると思えてます。
現実的になれた
人間っていうのは、よくわからないもの、不明確なものに恐れを抱くものです。
僕が借金の詳細を公開したのも、自分自身の現状把握をしたかったのと、そういったことをすることで、自分自身を受け入れる準備にもなりました。
大丈夫。俺はできる。と思えたから。
この2ヶ月半、毎日、散歩とバーピー、瞑想できる、ブログも書ける、クソみたいなYoutube投稿できる、TikTokもできる、毎日筋トレできる、とにかく継続を続けたんです。
小さな成功体験を積み重ねる大切さってこういうことだと思うんです。
これやったことがある人にしかわからない感覚。
じゃあ、「プログラミングが出来ないわけない」と思うわけです。
というより「プログラミングできるまでやる」と決意した。をすると決意した。
プログラミングは挫折しやすいものらしいのですが
「でも、そんなの関係ねー!」
って感じになりました。
もちろん、途中いろいろあると思いますが。。
それもどんどん書いていきます。
死さえ受け入れる
と、ここまでくると、朝倉未来さんがこんな記事で語っていたことを思いましました。
「彼の死んでもいい」という覚悟というのは「死」という最強のラスボスを目の前にしたら、目の前の問題や課題は無に帰すってことを感じたんですよ。
「死ぬ気でやる」ってよくいいますけど、これの真意って、
本人にとって「それができなかったら死ぬ」という意味だと思う。
「じゃあ、その努力、死ぬ気ですか」ってこと。
「死ぬ気であらゆる手段を駆使して、解決しようとしていますか」ということ。
孫正義さんの「脳がちぎれるほど考える」でもいいけど、
本質は「問題に対する、努力や解決の極限まで尽くせるか?」ということだと。
それを最近になってようやく、気づけた。
俺はプログラミングに対して、その自信がある。
(というよりせどりに対してもだけど、今は諦めた。)
良かったと思えるのは、失敗できるのは今のうちだから
これから、格差が広がる中で、どんどんと今から力や準備をしていかないと
どんな社会変化があって、自分の仕事がなくなるかわからないし、社会保障も不安なものになるかわからない。
だから、資本やスキル、急激な変動に対応できる、柔軟な思考力が必要なんだと思ってます。
いまいる、大多数のサラリーマンとか勉強してない人間の殆どは、それを知らない。
松屋の牛丼サラダセットを550円で食える日本社会だからなのか、生ぬるい現状につかってゆでガエルになってるだけですから。
「どちらに転んでも成功する」という「アートを描ける」から
破天荒フェニックスのオンデーズの田中修治さんは「成功はアート、失敗はサイエンス」と語っています
自己破産→
借りる→
逆境であっても、そこまで、イメージし、自分のアートを描けるか、考えられるかということ。
自分を崖に突き落としてよかった
そう考えると、今の現状も、2年前にあてもなく、脱サラしたことはよかった。
世の中に対応するための準備体操みたいなものだったと、今から思えるんです。
短期合理が長期合理につながるとは限らない。
「行きはヨイヨイ。帰りはコワイ」じゃ困りますからね。
そんな感じです。